歌は音楽だけど、音楽が歌とは限らない
今はもうほとんど言われることが無くなりましたが、昔私が洋楽聴いてるという話になると時々人から言われたのが、「意味の分からない歌聴いて楽しいですか?」「意味の分からない歌を聴くのはちょっと」とか。
基本的に個人の嗜好の問題なんで、とやかく言うのはヤボですが、基本的に私は音を楽しんでいた訳で、歌に乗っているメッセージを鑑賞してた訳ではないのです。散文や論文ではないのだからポップ・ミュージックに乗せられるメッセージなんて大した内容じゃないし。
そんなほとんど洋楽しか聴いてなかった私が20年前に突然出会った曲。
風や空のことばかり / さねよしいさ子
冒頭のVJのマイケル富岡の声は無視してください。とにかく衝撃的ですぐにCD屋に走りました。衝撃度としてはKing Crimsonの"Starless"を初めて聴いた時ぐらい。(この比較自体通じるのか?)
風や空のことばかり
考えることにした
そうすることに決めた
私はここにパンク精神さえも感じました。厭世感なんて抽象的な「言葉で表せないもの」が音で表現されてると感じたのです。言いたい事があるとかないとか、それをどう表現するかなんて議論はくだらない。言葉でもなく絵画でもなく音でしか表現されない「必然性」を持ったものが音楽として表現されている。「すべてのものはメッセージ」by ユーミン。だから歌詞にメッセージを乗せるうんぬんという話自体がくだらない。音自体・声自体がメッセージなのだとこの曲を聴いて気が付きました。
さらに、それまでの日本語の歌は、言葉の意味や音が、バックの音楽の音やリズムと不整合を起こしていたものが多かったと思います。私達は日本語のネイティブ・スピーカーですから、日本語の音を聴くと自然になんらかのイメージや概念が頭の中に浮かんできます。読解や解釈をしてるわけではないので、それを意識で止めることもできません。そのイメージ喚起の速度や内容が体感的に音を楽しむのをじゃましているような曲が多かったと思います。さねよしいさ子を知ってからは、私の中の日本語の曲の優劣の基準が大幅に上がってしまいました。他の陳腐な日本語の曲は、その陳腐さが余計に目立つようにまでなりました。
彼女の曲のすばらしさは、彼女の作る詞・曲、声だけではありません。バックのさねよしBANDも優秀なミュージシャンばかりでした。
童謡+前衛ジャズかプログレという感じの曲。
マッチ箱 / さねよしいさ子
さねよしいさ子の曲は、表面的には童謡ぽくっても、素朴というより原始的な力動にあふれています。さらにアレンジも緻密で、それまで洋楽を聴いていた耳にも十分聴きごたえのある音楽でした。
イーハトーヴ / さねよしいさ子
歌詞の世界は一言で言えば、宮沢賢治のような世界です。最小限の音を緻密にちりばめた世界をバックに、彼女の美しいメロディである歌声が舞い踊ります。
昔最初にこの曲を聴いた時、なぜこの曲を取り上げているのか良く分かりませんでしたが、最近気が付きました。ジャズのスタンダードとして、ジャズの素養があるバンドのメンバーがカバーを薦めたんじゃないかと。
My Favorite Things / さねよしいさ子
自主PV作者のコメントから。
日本のジュリー・アンドリュース、日本のケイト・ブッシュ、日本のビョーク、日本の宝、歌う宝石さねよし嬢
全く同感。日本のネイティブスピーカーは、音声だけでなくさらに深く彼女の曲を理解というより体感できます。日本語を話す人で音楽が好きなら、彼女の曲を聴かないのは絶対に損をしていると思います。
おまけ:
My Favorite Things / John Coltrane
さねよしBANDの演奏は、サウンド・オブ・ミュージックより、こっちに近いでしょ?
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