咀嚼しきれないポップス〜PSY・Sについての個人的な思い出〜

PSY・S(サイズ)と言うバンドは語りにくい存在だ。

デビューが1985年、まだJ-POPという言葉もなかった時代。活動のピークは90年代の初頭までで、渋谷系がはやる前。そんな時代の狭間。半角文字と全角文字が混じったInternet時代に記述しにくい名前(笑)。今聴いてもクオリティはもちろんオリジナリティの高さは驚くべきほどだ。音の感触は明らかに80年代なのに、個性の強い音はそういうカテゴライズをはみ出してしまう。

たまにPSY・Sの事が話題に出ても「代表曲がアニメ『シティーハンター2』の主題歌の『Angel Night』で〜」と言われることに個人的には違和感を感じる。私にとってはそんな引っ掛かりをずっと持ち続けている存在だ。

私がPSY・Sを初めて聴いたのは、FM大阪の「ポップ・ミュージック・ステーション」という番組。毎週月曜から金曜まで、夕方に放送されていた番組だった。USから連れて来たDJ(クラブのDJじゃないw)が英語のMCで洋楽の曲を流す番組だった。その番組の1コーナーで「今週の曲?」として自作の曲をかけていたのが松浦雅也さんだった。この人はDJなのか?スタップなのか?と思っていたら、かかった曲が凄かった。

何とカッコいい音。全編英語の歌詞でまるでネイティブのようなCHAKAさんのボーカル。2人とも有名なミュージシャンなのかな?頭の中に疑問符がさらに増える。

後に番組で(少なくとも半年か1年ぐらいは間があったと思う)「このたびPSY・Sという名前でデビューします」と告知があった。「今までデビューしてなかったのか?」と更に驚いた。

当時はアナログLPの時代で、小遣いでLPを買うなんてめったにできなかった。MTVが出てくる前だから、TVで自分の好きな洋楽がかかる番組もなかった。だから家にいるときはずっとFMラジオをかけて音楽を楽しんでいた。そのFM局も地域にNHKFM大阪の2局しかない時代だった。

だから彼らの曲ももっぱらFMラジオを通して聴いただけだった。デビューアルバムを通して聴いたのはかなり後に自分でバイトができて小遣いが稼げるようになった時で、その頃はすでにCDの時代になっていた。

デビューアルバム「Different View」からその頃は既に3枚目「Mint-Electric」までリリースされていたと思う。それまでロックを中心にいろいろな洋楽を聴いてきてはいたが、PSY・Sのような衝撃を受けた日本人アーティストはいなかった。

当然FM大阪で初めて聴いた衝撃を期待しながらCDを聴くのだが、あの時の衝撃にはかなわなかった。まず第一にCDの音質の問題があった。特にデビューアルバム「Different View」の音圧が低くかった。*1
次に歌詞。デビュー前は完全英語の曲だったのだが、メジャーデビュー後の曲は一般向けということで、別の作詞家が詞を書いていた。その歌詞の質があまり良くなかった。もっとも、一部の曲の例外を除いて、日本のポップスの歌詞が音に負けなくなるのは90年代に入ってからだと個人的には思っているので、特にPSY・Sだけが悪かったわけではない。同時代の他のバンドは同じくらい歌詞がしょぼかったし、音もしょぼかった(笑)。

もっとマニアックなポップスのグループになって欲しいと思っていたが、「シティーハンター」の主題歌もそれなりにヒットしそれなりに知名度もアップしていった。世間一般と自分の感覚のズレは自覚していた。このあたりは今のK-POPに対する感覚・感情と同じようなものかもしれない。

さらにその頃ライブ活動もするようになった。デビュー時はライブを活発に行っていても、活動を重ねるにしたがってスタジオに籠るようになりライブを行わなくなるバンドはよくある。ビートルズしかりXTCしかり。

PSY・Sはその逆を行った。さらにステージではバックダンサーが付き、CHAKAさんも振り付けをつけてビジュアル的にも凝ったステージングだった。個人的にはPSY・Sには音楽職人的であって欲しいと思っていたし、PSY・S以前はもっぱらジャズとファンクを歌っていたCHAKAさんに合っているとも思いにくかった。

しかし、PSY・Sは中途半端なことはしなかった。それはそれで素晴らしいことだ。「Live PSY・S」という名のもと、レコーディングとはまるで別のバンドのようにライブを行っていた。

そういう個人的葛藤を抱えつつ応援していたところに、5枚目「ATLAS」がリリースされた。大傑作だった。それまでのモヤモヤが吹き飛ぶ位の傑作。初期のフェアライトを駆使した音とは違うが、細部にこだわりつつポップでありながら世間に媚びていない音だった。
その頃はまだ音楽雑誌も熱心に読んでいたから、いろいろなレビューを読んでみた。自分の高ぶりと比べて温度差を感じた。またガッカリして世間と自分の感覚のズレをさらに思い知った(笑)。

理由は自分でもよく分からないのだが、「ATLAS」があまりにも素晴らしかった反動なのか、自分の中のPSY・S熱に一区切りがついて、その後のPSY・Sの活動に注目しなくなった。ぱったりPSY・Sとは無縁になってしまった。そして何年も経って良く知らないうちに解散していた。
ゲームにも関心が無かったので「パラッパラッパー」を作った人があの松浦さんだと知った時もへえーと思ったぐらいだった。

自分で明確に区切りをつけたというより、自然と疎遠になってしまっていたので、最初の出会いの衝撃が何だったんだろうという思いは心の底に残っていたように思う。

数年前、田中雄二著「電子音楽 in JAPAN」という本を読んだ。PSY・Sの事は別にしても、日本のポピュラー音楽に興味がある人にとっては、必読の名著なのだが、この中のまるまる1章が松浦さんについての記述だった。
松浦さんに取材もされており、PSY・Sのデビュー前の事からの記述もあった。当時のいろいろな記憶と照合して納得したことも多かった。
PSY・Sという名前が付く前にPlaytechs(プレイテックス)というグループ名で2人が自主制作盤を作っていたことを初めて知った。これは是非聴いてみたいとその時からずっと思っていた。あの時の衝撃は何だったんだろう?あの時の曲を今聴いたらどう感じるだろう?

それが先日ひょんなことから実現してしまった。良かったらぜひ聴いていただきたい。できればこの順番で。(SoundCloudが上手く貼れなかったのはご勘弁を)
do the pop
https://soundcloud.com/masaya-matsuura/do-the-pop
少しHip-hopの雰囲気がするCHAKAのボーカルも素晴らしいが、間奏のドラムの乱打が特にカッコいい。

Cho-oh
https://soundcloud.com/masaya-matsuura/cho-oh
デビューアルバム「Different View」収録の「From The Planet With Love」の原形。CHAKAさんの元々のキーがそうなのか、デビュー前の曲は全体的にキーが低いのが特徴。タイトルとエンディングがデビュー曲「Teenage」のPVを思い出す。

with sugar on top
https://soundcloud.com/masaya-matsuura/with-sugar-on-top
全体的にどの曲という訳ではないのだが、アルバム「Different View」に入っていそうな雰囲気。

on the edge of cliff
https://soundcloud.com/masaya-matsuura/on-the-edge-of-cliff
今聴くと頭は坂本龍一ぽい感じもしますが、曲が進むとそこはこの2人だけしか出せない世界。

項を改めて、PSY・Sのお勧め曲リストを作ってみるつもり。活動期間が10年ほどあり、曲数も多いので、自分なりの腹に落ちたPSY・S像を示せればと思う。
こんなやっかいなものも出てるし。後期のCDも数年前に全部揃えたんだよなあ(笑)。

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*1:ちなみに今は初期の作品はリマスターされた紙ジャケ版があるので是非それを。